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2012
06.08

四〇年前の高校の教科書

Category: 未分類
二二六 感覚をみがく

「文章の味というものは、芸の味、食物の味などと同じでありまして、それを鑑賞するには、学問や理論はあまり助けにはなりません」

長らく本棚に挟まっていた中に、高校の現代国語の教科書がありました。何年か前に物置で見つけた身内の物で、四〇年ほど前の教科書でありました。ふと手に取りぱらぱらめくっていくと、谷崎潤一郎氏の「感覚をみがくこと」という小論に目がとまりました。

「たとえば舞台における俳優の演技を見て、うまいかまずいかわかる人は、学者に限ったことはありません。それにはやはり演芸に対する感覚の鋭いことが必要で、百の美学や演劇術を研究するよりも、カンが第一であります」

「多くは心がけ次第で、生まれつき鋭い感覚をもみがくことができる。しかもみがけばみがくほど、発達するのが常であります」

「そこで感覚をみがくのにはどうすればよいかというと、できるかぎり多くのものを繰り返して読むこと、が第一であります。次に実際に自分で作ってみること、が第二であります」

「あえて文章に限ったことではありません。何度も繰り返して感じるうちに鋭敏になるのであります」

「おとなは小児ほど無心になれないものですから、とにかく何事にも理屈を言う。じみちに練習しようとしないで、理論で速く覚えようとする。それが上達の妨げになるのであります」

「講釈をせずに、繰り返し繰り返し音読せしめる、あるいは暗誦せしめるという方法は、まことに気の長い、のろくさいやり方のようでありますが、実はこれが何より有効なのであります」

「せめて皆さんはその趣意をもって、古来の名文と言われるのものを、できるだけ多く、そうして繰り返し読むことです」

「そうするうちにはしだいに感覚がみがかれてきて、名文の味わいが会得されるようになり、それと同時に、意味不明であった箇所も、夜がほのぼのと明けるように釈然としてくる。すなわち感覚に導かれて、文章道の奥義に悟入するのであります」

「しかし、感覚を鋭敏にするには、他人の作った文章を読むかたわら、時々自分でも作ってみるに越したことはありません」

「舞踏などでもおそらくはそうでありませして、全然舞を知らない人が舞のじょうずへたを見分けるまでになりますのは、容易なことではありませんけれども、自分で習うと、他人のうまいまずいが見えるようになる。また料理などでも、自分で原料を買出しに行き、親しく包丁を取り煮たきしたほうが、ただ食べてばかりいるよりも、はるかに味覚の発達を促進するにちがいない」

「ですが皆さんのうちにはあるいは疑問をいだかれるかたがありましょう。と申しますのはすべての感覚は主観的なものでありますがゆえに、甲の感じ方と乙の感じ方と全然一致することはめったにあり得ない」

「結局名文も悪文も、個人の主義を離れては存在しなくなるのではないか、と、そういう不審が生じるのであります」

けれども

「感覚のみがかれていない人々の間でこそ、うまいまずいは一致しないようでありますが、洗練された感覚を持つ人々の間では、そうした感じ方が違うものではない、すなわち感覚というものは、一定の練磨を経た後には、各人が同一の対象に対して、同様に感じるように作られている、ということであります」

つい、書き写して、皆さんにお伝えしたくなったしだいでありました。


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コメント
どうもっし。
仲右エ門dot 2012.07.05 08:16 | 編集
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