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2009
02.09

「立つ」という心象

Category: 未分類
二十一 動作に潜む心象を体験する

動法というのは古(いにしえ)の日本人が愛していた動作法だ。
それはまだ、人の品格と体の有様が結びついていた時代、人の内面を表現するのに身体言葉を使っていた時代のことさ。
目が高い、目が利く、目がない、目に障る、腰が入る、腰が低い、腹を据える、腹黒い、身が入る、身を削る、身に沁みる、骨を折る、骨(こつ)を掴む・・・
そういう人たちが捉えていた体の動作というのは、空間を移動するという意味だけではないんだべね。
効率性や利便性も動作の中には備えられていたかもしれないけど、それ以前に人々が大切にしていたものが動作の中には潜んでたんだべ。なにせ自分の身のこなし、立ち振る舞いがそのまんま性格診断、品定めになってしまう時代だったんだから。

そこでちょっと考えてみっつぉ。
古人が 「立つ」 という言葉を使うときには、どういう心象体験があったんだべ。

立つ、という言葉は自然現象が現れ出でたとき、よく使われった。
霧が立つ、虹が立つ、風が立つ、波が立つ、泡が立つ、雨が立つ(夕立)、季節の到来を感じるときも春が立つ(立春)をつかったかんな。
いままでなかったものが存在新たに出現するとき、総じて、たつ、という言葉を使ってだな。
家がたつ、声をたてる、噂がたつ。
時間というものを改めて実感したとき、時がたったんだ、と悟るべ。
他を圧倒する存在感あるものに対しては、目だつ、と言うし。
役立つ、というのは、その機能が十分発揮されたときのことだな。
茶をたてる、というときも、茶という存在をお点前を通して浮かび上らせる、という意味なんだべなぁ。

ということは、凧が舞い上がるように立つ、と前回のとき書いたけれども、案外、古人の心象に近いのかもしんない。
風が立つ、風が吹く、風の存在を実感しながら立つ。なかなかのもんかもな。


残る問題は、立つのが風じゃなくで自分自身である、ということだな。

人が立つというときは、何らかの決心をしていることが多いな。立候補を決めたときも、選挙に立つ、って言うし、何か特別な行動を起こすときに、さあ、みんな、立ち上がるべ!って言うし。

立つ、というのは、己が何かを起こすまさにその瞬間の心象体験を言い表していたんだべねぇ。


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