--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010
08.22

肉体を消す音

Category: 未分類
一七九 ゆらぐ

うまく唄えないなだ。
豆引き唄、もう百回以上聴いたなよ。
んでもよ、音がうまくとれないなよ。
聴くと簡単そうだけど、声に出してみると唄えない。
なして?

言っとくけんど、俺は音痴じゃねぇぞ。
村のカラオケ大会で優勝したことあるし。
高校の文化祭では優秀賞だった。
「お祭り荒らし」の異名もとった。
その俺が、なんでこんな短い唄、歌えないんだ?
不思議だ。

ちなみに、あなだ、豆引き唄、歌ってみでけろ。
あなどっちゃいけねえ。
実際に声に出して、自分ひとりで歌おうとすると、ほんと、調がとれねぇんだから。

豆引き唄試聴

だべ。
とても不安定になって音が定まらねぇべ。
ふらふらして、気づいたら違う音階を歌ってる。
いつものやつ。つまり西洋音階、ドレミファソラシドだ。
分かりやすい、定まりやすいお決まりの音階だ。
そこに流れてしまうなよ。

豆引き歌の音程は、その狭間を通るような微妙な音なだな。
出したことない音なだ。
んだから、難しいなだ。

だけど、唄いたいべよ。

西洋音階ってよ、例えば現代の歌謡曲はよ、歌えば歌うほど、我ここにありって主張するべ。
自分に注目してもらいたいって感じの音楽だな。
構ってもらいたい音なだ。
だから、自分の肉体がどんどん明確になる。
さびしいよ、見てくれってよ。

けんど民謡の音階はよ、何かに溶け入ってくって感じなだ。
自分の欲求が消えていく。
自分の存在も薄まっていく。
自分の身体も場の一部となって、目立たなくなってしまう。

音を出す前提が違うなだ。

豆引き唄の音階は五線譜で書き表せないな。
線と線の間の音。
この間の無数の音だ。
ゆらいでいるから安定しない。

このゆらぎ、この不安定さを、よし、とするしかないな。

まあ、人生みたいなもんと思えばいいべ。
安定しないから動き続ける。
動き続けているから生きている。
生きている、ということは永遠にこの手で捕まえられない。
遠く遠く離れている。
近くにあるのかもしれない。
しかし、見えない。
けれども生きていく。

からだが消えて見えなくなる唄なんて考えたこともなかったは。

関連記事

トラックバックURL
http://nakaemon.blog67.fc2.com/tb.php/183-fa6a57e9
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。