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2010
05.11

澄みませんでは済みません

Category: 未分類
一六七 終わる、という感覚


「家の光」江戸しぐさの続きだす。

すみません、という言葉の話だす。


女が道で間違えて男の足を踏んづけたとき
「すみません」と謝る。
男は「いやいや、うっかりしていた。こっちこそすまねえ」
と謝り返す。

「すみません」「いや、すみません」
こんなふうにキャッチボールをする。


これが難を幸に変えるコツ。

難で出会って幸で別れる

江戸の粋。


「すみません」は、気が乱れて澄みません。罪の意識が残ってしまって心が澱んだまま澄みません、このままでは終わった感じがしません、済みません。
元々そういう意味らしいだす。

男が謝ったのは、気が散ったまま歩いていたので罪作りの種を蒔いてしまった。こちらの方こそ、澄んでいなかった。だから、澄みませんでしたってことらしいだす。


「すむ」は澄む、済む、住むとも同源。

気が澄んだら気が済む。

で、住むっていうと
人は死ぬまで自分の定住地を求めて彷徨うものらしいのだす。
ここ!って決めるときは、ここで死ぬ!って決めるときらしいだす。
終の棲家だす。
ここで終わるってことだす。
住むっていうのは、気が済むまで放浪したのちに、気が澄む処で、終わる、ってことだす。





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