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2010
05.06

小説を読んでよかったと思うとき、実は

Category: 未分類
一六五 言語化すると

画家のクラムスコイに「瞑想する人」という傑作がある。冬の森の道でボロをまとった百姓がたった一人、もの思いにふけっている。決して考えているのではなく「瞑想している」のだ。もし誰かが彼の背中をトンと突きでもしたら、夢から覚めたかのように相手の顔を見るだろう。しかし何を考えていたのかと問われても、たぶん何も思い出せない。瞑想中に抱いていた彼の「感覚体験」は、心の中深くに仕舞いこんで、たくわえられていくだけである。彼にとってはその感覚心象こそ大事なのであり、彼はおそらくそれらをほんの少しも意識しないで貯めていくのである。それがなんのためかなど無論わかっていない。多くの年月がたち、これらの「感覚体験」を貯め込んだあげく、ふいに彼は全てを捨てて放浪と修行のためにエルサレムに旅立ったり、もしかすると故郷の村を突然焼き払ったり、ことによるとその二つを同時に起こしたりするのかもしれない。民衆の中にはかなりの数の瞑想者がいる。

「カラマーゾフの兄弟」の一節

本を読むと
一、いままで言語化してこなかった自分の「感覚体験」とぴったりした文章に出会うことがある。
二、その深層「感覚」が浮き上がってきたとき、ある「快感」が生まれる。
三、しかし、明確化してしまったため、深層「感覚」はある意味、干あがってしまう。
四、つまり、貯えてきた「感覚」は、そこで終止符を打つ。
五、その結果、全てを捨てて放浪と修行のためにエルサレムに旅立ったり、もしかすると故郷の村を突然焼き払ったり、ことによるとその二つを同時に起こしたりする可能性は、壊滅する。






更に、文章を読んだ印象を具象化すると、もっと明確に何かを失う。














クラムスコイ「瞑想する人」

瞑想する人
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コメント
kaka様
どうもっし。
簡単に平たく書くっていうのは、ほんと、ああ、なんと難しく険しい道のりなんだべかね。
より身近な(身体感覚が伴う)言葉で書くよう、努めてはいるんだげんども・・・。
コメント、有難く戴きます。
仲右エ門dot 2010.05.18 17:03 | 編集
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