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2011
02.20

「愛するに至る」ために

Category: 未分類
二〇三 知る

木蔵を整理していたら昔の新聞が二枚出てきた。國民新聞。
一枚は大正11年12月26日夕刊、とあった。若山牧水さんが短歌の選者をしていた。
もう一枚は破れていて日にちはわからなかった。与謝野晶子さんが新聞休刊事件について書いていた。

俺の先祖も彼らと同じ空気を吸っていた。その空気は今の空気へとつながってると思った。

こんな広告もあった。

泳ぎ方

当時は川や海で泳いでいた。プールなどなかった。だから腹痛は常時だった。だから仁丹。
水泳ぎはスポーツでなく、魚貝を採る生活の手段だった。速く泳げるよりも、食を得る知恵の方が大切だった。
生活上の体力は、例えば立ち泳ぎして文字を書いたり水の中で相撲ができるかで判断できた。
体力が生活と密接だった。


先日地元の寄合いに行ったとき、年配者が昔の話を沢山聞かせてくれた。
昭和二十五年から三十年頃の話。
町の公務員の初任給が4千五百円で米一俵が4千円の時代。農家が幅をきかせていた時代。毎日酒一升飲みながら仕事をしていたこと。犬や猫を食べていたこと。逃げた家畜であっても野良であっても生け捕って食っていたこと。ある程度の動物なら眉間を棒でスコンと殴るとあっという間に死んでしまうということ。その技術の習得はとても難しいということ。眉間という場所じゃなくて、不意を打つことが重要だということ。動物は自分は殺されると感じてしまったら、眉間を打たれても死ねなくなるということ。その辺にある食料はなんでも口にしていたということ。そして誰でも死んでいたということ。

生の体験は体から伝わってくる。
夢中で聞いた。

仁丹広告の左下の金言 「ものを知れば愛するに至る」


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2011
02.17

武器軟膏とネルソン・マンデラ氏

Category: 未分類
二〇二 離れていても

武器軟膏・・・傷を負った者に軟膏を塗るのではなく、傷を負わせた刀の方に軟膏をすり込むことで治療するという中世ヨーロッパの処方。

現代人は迷信の愚かな例として武器軟膏をあげる。
私は、このような考えを広めた人々の思想は素晴らしく深い、と思う。


漢字の「力」は鋤で畑の土をおこす姿や腕に筋力を入れている形に由来しているという。手や足、肉体に直に接触して抵抗がもろに伝わってくる感触が「力」、そうとらえたのだ。

それにくらべ和語の「ちから」は「ち、霊、智、道、千、血、乳、地、池」に由来していて、時間的にも空間的にも遠く離れた処からやってくる、自分の手の届かない神秘なもの、であった。

離れていても肉感がなくとも力は作用する。
物理の世界においては、例えば磁力、例えば引力。
眼に見えないし接触はない。なのに作用は強大である。

人間の世界においても、見えない力は沢山ある。


二者の間で何らか関係性が出来上がっているのなら、一方への働きかけはもう一方に対しても影響を及ばす。
関係が密ならなおさらである。

切った刀は切られた肉体を傷つけた。
けれどもそれは人間側からだけの解釈で、刀側を無視している。
肉体は傷ついた。
なら、刀も同じように傷ついているかもしれない。

関係性を、一方通行ではなく相互通行でとらえる。

離れていても関係性が続いていたら、どこかでつながっている。
刀の傷が癒えたときには肉体の傷も同じように癒えているかもしれない。



「インビクタス 負けざる者たち」というクリント・イーストウッドの映画を観て、そう思った。

ネルソン・マンデラ・・・モーガン・フリーマン
フランソワ・ピナール・・・マット・デイモン

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2011
02.14

歯痛と散歩 そして大きな自然

Category: 未分類
二〇一 つながり

最も間近な自然物は肉体である。肉体は大きな自然とつながっている。

昨秋、ゲソ天を食べていたら脳天を切り裂くような衝撃が走った。
自分の歯にイカの歯が突き刺さった感触だった。
手で抜こうとしても駄目だったのでペンチを探した。
鏡の前で口を開いたら、右奥三番目の歯が真っ二つに割れていて、外側半分が氷山が砕けたときのように斜め45度に浮き上がっていた。
舌で感じたのはイカの歯ではなく自分の歯だった。
抜くか押し込むか。
うむと噛み締め、グリッという音で、歯はもとにおさまった。
痛みもそのうち消えるだろうと思った。

予想通り消えてはくれた。
が、ある日、歯痛はやってきた。
我慢出来ない痛みだった。
右の顔頭全部がキリで穴を空けられたような感じだった。
涙が流れる。
じっとしていられず、外に出た。
散歩することにした。
まわりを眺めるゆとりもないが、足は動かした。
とにかく動かした。
そのうちスウーと痛みは引いた。
さっきの歯痛はどこにもなかった。
一日、二日とやってこなかった。
もう来ないのかと忘れた頃、また歯痛はやってきた。
また、散歩に出かけた。
スウーっと痛みは消え、また忘れた。
そんなことを何回か繰り返した。

歯痛は大きな寒気が入り込むときにやってくる、というのがわかった。
歯痛は身近な寒気予報になった。


右奥三番目の歯は大きな寒気とつながっている。
それから散歩ともつながっている。
そして、俺ともつながっている。


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2011
02.03

正月(夜のはじまり)

Category: 未分類
二〇〇 幕あけ

明けましてお目出度う
安芸ましてお米豊度う
赤気ましてお芽出度う
開けましてお女和度う
空けましてお愛で度う


ございます
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2011
02.02

かしわ手

Category: 未分類
一九九 締まれば終わる


手を叩く。
西洋には手を打って賞賛や歓迎を表すけれど
日本には、手を打つことで場を締めましょう、という文化がある。

締めるとは終わること。
お手を拝借して、みんないっしょに、場を澄ます。
飛ぶ鳥あとを濁さず。

一丁締め・・・ よおーっ ポン!  

二拝二拍手・・・パン パン     神道の基本動作 

三本締め ・・・ よおーっ ポポポン ポン

今日は旧暦の大晦日。
よいお年を。 
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