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2010
08.26

縁つなぎの唄・・・豆引き唄外伝

Category: 未分類
一八一 みえてくる

山形街道によ マメ、ソバ植えてドントヤ
マメで達者でヌシのソバよ さあさ引かっしゃれドントヤ


豆引き唄の五番、最後の歌詞だ。

豆引き唄は山形の民謡だ。
んだから、母ちゃんに聞いてみた。
母ちゃんは今年、喜寿だ。
「豆引き唄って民謡、知ってだか?」
「一回、聴いたことある」
「一回?」
「んだ」
「豆はこう引けよ~!っていうんだ。これど同じか?」
「んだ」
「一回聴いただけで、よく覚えられたねぇ」
「んだって、オレの結婚式んとき、唄ってくれたんだ」
「結婚式?」
「んだ。おまえ知らねえと思うけんど、遠縁のおばんちゃが唄ってけっちゃ」
「んだんだ」
「この家で結婚式した。おまえも知ってっぺ。お披露めは三日間もあった。一日目は親族、二日目は地元の人とか分けてよ。」
「そりゃ、大変だったね」
「大変もなにも、ハタチそこそこの小娘だ。何も分かんね。周りが全部段取ってけっちゃ」
今から57年も前の話だ。
「豆引き唄、ちょっと変わってるべ。面白い唄だなあと思った。んだから覚えった。」

豆引き唄って縁起物の唄だったんだなし。
お目出度いときの唄なだ。
この展開には、俺もぶったまげた。

こりゃ、豆引き唄の解釈も変わってくる。

「豆はこう引けよ こうして丸け ドントヤ」
これは花嫁修行の母娘の風景でないんだべか。
嫁に行く前の、母の最後の教え。
娘は母に感謝をしながら仕事を覚える。
これが先の5番、最後の歌詞へとつながってる。
意訳すればこんな感じだべか。

できれば、この家からお前が嫁ぐ家までの道端に、豆と蕎麦を植えたい。
お前が健康で元気に暮らせるように。お前のところがいつも豊作であるように。
お前の家とおれの家がいつまでもいい関係でいられるように。


花嫁のことをこっちの方言で「むかさり」っていうなだ。
嫁に行くことを「むかさっていく」という。
「向こうに去っていく」っていうのが語源らしいなだ。
嫁に出す方の親の心情は、切ないべ。
しかし、この「むかさり」という言葉を大声で叫びながら嫁入りする。
それが儀式なだ。

地唄ってのは、それが人生の中の大切な場面場面に通じている。重なっている。
隠喩しながら、人間っぽく展開していく。

ちなみにこの結婚式と同じ月日が俺の誕生日なだ。
不思議だな。
けんど偶然って感じが全然しない。
どこかで当然、と思ってる。

見えないつながり。
色んなものとつながっているけど、どんなつながりなのか分からない。
しかもこのつながり、確かめようがない。
だから、人はつなぎ止めようとする。
何かで確認したくなる。

けんどつながっているなら、必ずみえてくる。
期が満ちれば、偶然を装って、必ず浮かび上がってくる。

豆引き唄を紹介してくれたひと、そのひとに俺が惹かれた謎がどうやらみえてきたな。








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2010
08.25

唄え独楽のごとく凪のごとく

Category: 未分類
一八〇 無息

不安定な音域で、調を合わせる法。

その一
こぶしを回す。

ああ~~~~って!

回るって不安定な場所で、うまく立つ方法だべ。
コマのように回っていると安定すっぺ。
そんな感じ。
とにかく回っていればその場に立っていられる。
ただあんまり使うと、りきんでしまったり、オーバーアピールになってしまう。

それで次
その二
息を吸っている感覚で唄う。
昔、金沢明子さんのCMで、ロウソクの前で唄って炎が揺れないっていうのがあったべ。
それ。
息を引き込むように声を出すなだ。
すると微妙な音域でも安定するなよ。
結果、息が口から出ない。
これは、こぶしを回すときみたいに強調せずに、繊細でしづかな音を出せる。




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2010
08.22

肉体を消す音

Category: 未分類
一七九 ゆらぐ

うまく唄えないなだ。
豆引き唄、もう百回以上聴いたなよ。
んでもよ、音がうまくとれないなよ。
聴くと簡単そうだけど、声に出してみると唄えない。
なして?

言っとくけんど、俺は音痴じゃねぇぞ。
村のカラオケ大会で優勝したことあるし。
高校の文化祭では優秀賞だった。
「お祭り荒らし」の異名もとった。
その俺が、なんでこんな短い唄、歌えないんだ?
不思議だ。

ちなみに、あなだ、豆引き唄、歌ってみでけろ。
あなどっちゃいけねえ。
実際に声に出して、自分ひとりで歌おうとすると、ほんと、調がとれねぇんだから。

豆引き唄試聴

だべ。
とても不安定になって音が定まらねぇべ。
ふらふらして、気づいたら違う音階を歌ってる。
いつものやつ。つまり西洋音階、ドレミファソラシドだ。
分かりやすい、定まりやすいお決まりの音階だ。
そこに流れてしまうなよ。

豆引き歌の音程は、その狭間を通るような微妙な音なだな。
出したことない音なだ。
んだから、難しいなだ。

だけど、唄いたいべよ。

西洋音階ってよ、例えば現代の歌謡曲はよ、歌えば歌うほど、我ここにありって主張するべ。
自分に注目してもらいたいって感じの音楽だな。
構ってもらいたい音なだ。
だから、自分の肉体がどんどん明確になる。
さびしいよ、見てくれってよ。

けんど民謡の音階はよ、何かに溶け入ってくって感じなだ。
自分の欲求が消えていく。
自分の存在も薄まっていく。
自分の身体も場の一部となって、目立たなくなってしまう。

音を出す前提が違うなだ。

豆引き唄の音階は五線譜で書き表せないな。
線と線の間の音。
この間の無数の音だ。
ゆらいでいるから安定しない。

このゆらぎ、この不安定さを、よし、とするしかないな。

まあ、人生みたいなもんと思えばいいべ。
安定しないから動き続ける。
動き続けているから生きている。
生きている、ということは永遠にこの手で捕まえられない。
遠く遠く離れている。
近くにあるのかもしれない。
しかし、見えない。
けれども生きていく。

からだが消えて見えなくなる唄なんて考えたこともなかったは。


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2010
08.14

唄う 歌う 詩う 吟う 唱う 詠う 動う 仕事う

Category: 未分類
一七八 うたう 

民謡のCDもらったなだ。
都会のひとにもらったなだ。
山形の唄なだ。
俺は知らなかったなだ。
逆輸入なだ。
さっそく聴いたなだ。
一生懸命聴いたなだ。

俺が一生懸命聴くときは二とおりあんなだ。
音楽そのものに惹かれるときと、音楽を薦める「ひと」に惹かれるときと。
今回は、ひと、だった。
このひとが、なぜ、「佳い佳い」と薦めるのか、じっくりその謎に取り組みたくなったなだ。
そしてそのひとと一緒に唄いたくなったなだ。

「豆引き唄」
こんな唄なだ。

豆引き唄試聴

豆はこう引けよ(ソレ)こうして丸け どんとやアや 馬はこうして こう着けろ サアサ 引かしゃれ どんとやアや

こうこうこうこうって、指示語ばっかりで、唄聴いているだけだとどんな動作なのかさっぱりわかんね。
その場にいる人がその場で唄う、ほんとライブ感覚だな。


民の謡(たみのうた)、民謡の語源は明治になってからで、その前までは小唄、俗謡、在郷唄などで呼ばれていたんだど。
柳田国男さんも「民謡の今と昔」で「民謡などという堅い言葉は、使わずにすむものならば使いたくないのである」なんて書いてる。民謡という言葉が堅いと思えなくなった現代の俺には、国男さんの憤りが新鮮に思えたよ。
なぜ国男さんがこだわるのか。
明治において日本文化を飲み込んでしまうような欧化啓蒙の波があったんだべ。
「いかんせん現在地方の歌いものの中には、土に根をさして成長しなかったものが雑然として来たり加わっている。それを選び分けて祖先の心情を尋ねてみようとする場合に、古くからあるもの、住民が自ら作ったものに、なにか限られる名前がなくてはならぬ。そこで外国の学者のこれにあてている語を、仮に民謡と訳してみたまでである」
フォーク・ソングのことだべね。
国男さんは語る。
「民謡とは、平民みずから作り、みずから歌っている歌である」
土に根ざし自然発生した、古くから時間をかけて出来上がったもの。そこに住む人々が、生活の奥底で共有したリズム、テンポ、ハーモニーで、いつの間にか口ずさんでしまうもの。
 
豆引き唄の四番の歌詞がそれを言い表わしった。
「動作こうまねてよ 声張り上げてよー 唄は仕事の弾みもののよ さあさ引かっしゃれ どんとやーや」

仕事の数だけ歌がある。それが民謡ってわけだ。

じゃあ、今、俺らはどんな唄を歌えばええんだべ。
現代の民の唄、誰かと一緒に唱う仕事唄、作るしかないっぺ。




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2010
08.07

80年後の君へ 

Category: 未分類
一七七 待っている

暑いなえ。
あちいなえ。
ちょっと動くだけで汗ボタボタだなえ。
もう立秋なのになえ。
こう暑いとオシッコもでねえ。
小さな便り、と書いて小便。
この便り、どこへ届くのかね。
とにかく
今年は続くなえ、暑い日が。

ということで今回は、人は何のために汗をかくのか、っていう話。


汗の効果
というと、体温を冷やすことや余分な脂や毒などを出す、なんてのを思い浮かべるべ。
自分の体の中を快適にするための自動調節機構、っていう視点だな。
体ってのは賢いとかなんとか。


でもよ
ちょっと頭冷やして考えっとよ
こういう解釈って、とっても自分勝手だと思うなよ。
利己主義っていうか、自分の得ばっかしか頭にないみたいな。
自分のことしか考えてないな。

汗をかくことで自分の体の中がキレイになるのはいいけんど
キレイになったのは自分の体の中だけで
汗が汚いんなら
世の中をキタナくしてるんでないかい。
世の中に汚物を撒き散らかしてるだけでないかい。
それって、なんだべ?
自分さえ清くなればいいって
こんな解釈は、かんなし悲しいぞえ。



けんど、本当に人って、自分のためだけに汗をかいているんだべか。


俺よ、自分のために汗をかいているんでなくて
俺の汗を欲しがっている奴が、どっかにいて
そいつのために汗をかいているような気がすんのよ。

そいつが俺から汗を引き出そうとしているって思うなよ。



人間の体から出た水分は蒸発して空へ立ちのぼっていくべ。
汗ってのは、サンズイに干と書く。
漢字の成り立ちはよく知らねけんど、水が干上がるってわけだ。
だから汗は干上がるためにある。
干上がった汗は空の彼方までのぼってって、長い長い旅の果て、およそ八十年後、地上に雨となって落ちてくるんだと。
これは佐治晴夫先生がおっしゃってだ。

ということはよ
今日の夕立には80年前の人の汗が含まれった、ということになる。
80年前ってえと
昭和5年、西暦1930年だ。
冷蔵庫が初めて売られた年だ。庭付き一戸建て住宅と同じ位の値段で。
金子みすゞさんか亡くなった年だ。自ら命をたった。
浜口首相が狙撃され、「いき」の構造、が出版された。
そして、うちの親父が生まれた。


だから今日の雨つぶには、俺の祖母のお産のときの汗が含まれったかもしんね。
親父が生まれて初めて流した汗も。

今日の夕立はそんなことを記憶している水の集まりなのかもしんね。
俺に体験を伝達している水の集まりかもしんね。

祖母のいきみや親父の歓びが、この雨つぶの中にあるなだ。



この雨のおかげで俺は歴史とつながってるのかもしんね。


俺はこの雨を感じることができるなだ。


80年後の君、今日の俺の汗を感じてくれっか。


君が俺の汗を欲しがっているんだべ。

待ってでけろな。
いっぱい流すからよ。

俺の小さな便りも一緒に・・・
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2010
08.01

ビデオ鑑賞 日本の形

Category: 未分類
一七六 涼しく笑う

今回は極上の動画をお借りして日本文化を学びましょう。

その1 箸




その2 折り紙




その3 茶
 

よくここまで茶化しますえ。
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