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2009
12.30

点と線

Category: 未分類
一四七 深淵な型

合掌土偶

高校生のとき体育座りをしていたら、あるとき腰にピキーン!と激痛が走った。
飛び上がるほど痛かった。
背中を丸めるこの姿勢は腰抜け状態のため椎間板がずれて軟骨が飛び出しやすい。
そう本に書いてあった。
俺は真に受けた。
以来、俺の中で体育座りは「悪」となった。


あれから何十年かの時を経て、上の写真の「合掌土偶」に巡り会った。
体育座りだと思った。
しかし「悪」は見当たらなかった。
反対に、神々しさばかりが目に入ってきた。


神に祈る姿か
分娩の姿勢か
胎児の姿勢か
それとも、埋葬時の姿か


あのときの激痛は、もしかしたら単に俺の演出だったのかもしれない。
俺の精神が、深淵な型に対してあまりにも未熟であるがために尻込みして、逃げの口実をつくった瞬間だったのかもしれない。
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2009
12.09

やまとうたは

Category: 未分類
一四六 古をぬすむ

動法は、人の自然をたねとして、万の振る舞ひとぞなれりける。世の中にある人、事・業しげきものなれば、自づから音連れる事を、見るもの聞くものにつけて、動きいづるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづを感づれば、生きとし生きるもの、いづれか動きをよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむるは、動法なり。



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2009
12.08

何もできない自由

Category: 未分類
一四五 対峙する

金澤翔子さんのビデオを見た。






翔子さんは白紙の前で物凄く濃い体験をしている。
その体験を字が凝集する。
それがこちらに伝わってくる。



翔子さんは月を見て泣くそうだ。あまりにも美しすぎて泣くそうだ。
だから翔子さんは月を書く。
体験そのものを書く。


俺は月を見ても泣けない。
だから月を語れない。



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2009
12.07

自信について

Category: 未分類
一四四 自然に任せる

「自信なくなったは」
その人は言った。
たしかに自信のない顔をしていた。
萎れている。
あわれな雰囲気もある。
けれども悪い感じがしなかった。
むしろいい。
魅力がある。
影ある感じも奥ゆかしさも。
「自信なんてない方がいいべぇよ」
俺が言うとその人は笑った。
その笑顔もしみじみと侘びしかった。

自信を持っている人は、どこか嘘くさい。
俺は苦手である。
「自信」という言葉を、自分を信じること、という意味だとしたら、である。


「自信」をこうもとらえられる。
自は自然の自。
「自信」は己の中にある自然を信頼すること、自我を放棄し、奥に棲んでいる自然なるものを見い出し、それに身を任すこと。
自我と関係のない自信、自我が崩れたときに訪れる自信。


その人の背中は、自然を見い出す準備をしていたのかもしれない。
本当、という雰囲気が漂っていたから。








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