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2009
10.26

紅葉的身体

Category: 未分類
一四〇 場に沈んでいく
秋の色色紅葉狩りに行ったなだ。
ひとりでよ。
五年ぐらい前に行ってよ、それから病みつきになったなだ。

なんて言ったらいいんだべね。
からだが溶けていくような感覚なだ。
私母土さんが真っ暗な風呂に入ると輪郭がなくなるって教えてくれたけんど、俺は山紅葉を見るとそうなるなだなぁ。
無限の赤があってよ、無限の黄色がある。
その色の洪水にどんどん埋もれていくなよ。
身体がよ。

怖いなよ。
立っていられなくなるようなよ。
谷に落ちていくようなよ。

動法は感受性の運動である、って誰かが言ったなだ。
そのとおりだと思う。
だげんど俺は山紅葉の中で、動けなかったなだ。


来年こそは動けるように稽古するべさ。
からだは無限の動きの洪水なはずだからよ。
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2009
10.25

門に見える月

Category: 未分類
一三九 余白を味わう

江戸扇子作り、ええなあと思った言葉、その四 最後

扇子ひとつ作り上げるのに約八十の工程があるんだと。
出来上がりは一ヶ月後なんだと。


深津さんは独自の絵付けもなさっているというのでインタビュアーが聞いたなだけ。
「絵を描くとき、何に一番注意されますか?」

深津さんは何の飾りも力みもなくこたえたなだ。
「余白ですね。間(ま)です」

いやあ、ここで「間」という言葉を聞けるとは思わねがった。


世間、人間、時間、空間、居間、仲間

間という漢字は昔、門の中は日じゃなくて月だったんだとよ。
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2009
10.23

骨には真ん中が似合う

Category: 未分類
一三八 道だけをつくる

江戸扇子作り・ええなあと思った言葉その三

折を記憶した地紙に扇子の中骨をさし込むため、「中刺し竹」という道具で地紙に隙を開ける、その作業中に

扇子 地紙


中ざし


扇子の骨


深津さん
「中さし、っていいます。真ん中にさす、っていうのが大事ですね。これで中骨の位置が決まってしまいますから。中骨は勝手にスーッと入っていきます」


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2009
10.22

打撲と記憶

Category: 未分類
一三七 叩く・覚える

江戸扇子作り、ええなあと思った言葉その二

叩き
叩き

折り山を落ち着かせるため木槌で叩くんだけんど、何をしているんですか?という問に深津さんは言ったなだ。
「紙に記憶してもらうために、叩いているんです」

この言葉、深いべ。
これって、人にもあてはまるべよぇ。
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2009
10.20

いつか来た道

Category: 未分類
一三六 少し前に戻る

江戸扇子作りでええなあと思った言葉、その一。

何枚もの和紙を重ね貼り合わせて乾かした地紙の、その真ん中を裂いていく平口開け作業に対して

インタビュアー
「紙を貼り合わせて、それをまた裂いていくんですか。時間がかかりますね。最初から厚めの紙を裂いていくっていうのでは駄目なんですか?」

深津さん
「貼り合わせて、敢えてそれを裂くっていうのがいいみたいです」

それだけのことなんだけんど、なんか物凄いこと言っているような気がしたなだ。
どうしてそう思ったのかわかんねえんだ。
でも、深いなあって思ったなだ。
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2009
10.19

江戸扇子でござる

Category: 未分類
一三五 姿を変える

テレビで江戸扇子ができるまでっていうのをやってたんだ。
これがよう、ええなよう。

江戸扇子ができるまで:ビデオ

そこで今回は扇子の用途ぷち再考だべ。

団扇っていったら夏だけんど、扇子は年中使われった。
扇ぐ以外によ。
例えば、掌でトントン叩いて間合いをとる、応援のときに調子をとる、懐にさして短刀代わりにする、将棋のときに開け閉めして熟考の手立てとするなどなど。
その中でも特に俺が好きなのは、茶道のときに自分の前に置いて結界の代用をさせることだなぁ。自分の未熟さが場に流出しねようにする礼儀だっし。

もう実用からは遥かに遠のいているなっし。

ちなみに別名を風(かぜ)っていうんだと。
ほんとに風のように変幻自在だなっしぃ。
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2009
10.18

土踏まずで土を踏むの巻

Category: 未分類
一三四 無いところに在るもの

まずよ、土踏まずの空間、その空気を、キュッキュッと踏みしめながら歩いてみる。
これ、練習。

次によ、土踏まずの、どこでもいいから四点きめてよ、四方固めをしてみるなだ。
お獅子様みたいに、時計回りに土踏まずをたどってみるなだ。
何周かすると足の裏がこそばゆくなってよ、今までなかった空間が立ち上がってくるような気がするなだ。
それで歩いてみるとよ、自分の足でないみたいで、ちょっと変な気分になるぞえ。
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2009
10.17

マレビト

Category: 未分類
一三三 場に添う

また家庭科クラブの話だけんどよ、茶の会が終わった後で気づいたなだ。
子どもたちみんな一時間近くも正座してたなだ。
だから足が痺れて立てない子が続出したなだ。
俺は途中で言ったんだよ。
「足が痛くなったら崩していいんだよ。昔は胡坐が正座だったんだからよ。堂々と胡坐していればいいんだよ」
そんときは何人か足を崩したけんど、気づいたらみんな元の正座に戻っていたんだ。
「いつもは騒がしくてどうしようもないのに」って後で先生が言ってたけんど。
辛いはずなのにみんなじっとしてた。

マレビト来たる、だな。
子どもたちは来訪してくれたマレビトに対する礼節をちゃんとしっていたなだ。
普通じゃない、何か特別なこととしてよ。
お獅子様を待っている村の住民みたいに。
すごいな。
だから場もスーッと立ち上がったんだべ。
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2009
10.16

四方固め

Category: 未分類
一三二 立体化する

(続き)
おらだの祭りもそうだったな。
お獅子様が場を作り上げるなだ。

雷神の化身であるお獅子様は社から現れると、まずすることは境内の四方を踏み固めるってことなだ。
お獅子様はよ、外の空気に触れるのが一年ぶりだからよ、ゆっくりからだが馴染むように進んでいくなだ。慎重に、境内を時計回りに歩きながら、四方を踏み固めていくなだ。邪気を払い地鎮をしながら、自らが安心して立ち回れるように場を作り上げていくなだ。
そして人々は、神域ともいえる結界ある四方立法の空間を境内の中に見出すことになるなだ。その中で十全に力を発揚するお獅子様の姿を、飽きずにずっと見続けるなだ。
その後お獅子様はどんどん荒ぶれ、勢いにのって結界の外、鳥居の外へ飛び出し、各々の家々へと向かうのだげんど、夜遅くになって境内に帰ってきたときも、おんなじように四方を固め神域を立ち現れさせ、自分の棲む世界としての社に戻っていくなだ。


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2009
10.15

本式ジャンケン

Category: 未分類
一三一 場が立ちあがる

その小学校の家庭科クラブは、男の子が五人もいたなだ。
だから、茶は本来男が嗜んでいたもので、戦に出向く前、腹を据えるため覚悟を決めるために服した。今でもその名残りで、仕事はじめに茶を服してほんじゃやるかって気合を入れる。そういう話をしたなだ。
加えて本式の相撲の話をしたなだ。
互いに見合って、時間無制限に、気が合うまで立ち会わない。気が合えば一発で立ち会うって話。
六年生の男子一人と目が合ったから、じゃあ、本式ジャンケンすっぺ、って言ったなだ。
「相撲とおんなじように相手の目を見たまんま、自分の腹がきまるまでじっと待つ。そして、よし!今だ!と思ったら何の前置きもなくいきなり、ぽ!っと出す。こんな感じだ。いいか?」
相手がうなずいたから、早速始めたなだ。
しばらくじっと互いに見つめ合った。
なかなかいい目をしている。キラキラしている。
不敵な笑みも浮かべている。
俺もやる気がたかまってきた。
気がついたら、ギャラリーもじっと俺らを見つめている。
場の緊張感も増してきた。
いい感じだ。
そう思っていたら、変な気分になった。
二人を囲むように透明な空間がスーッと立ち上がってきたような気がしたなだ。
錯覚だべね。
だけんど、その空間に囲まれているとさっきまでの緊張感が消えていく。そしてひたすら集注できる。
よし!っと思ったら同時だった。
ポン!
チョキとパー。
俺の勝ちだった。
その瞬間に空間は崩れて、部屋はもとに戻ったよ。


俺はよ、これは神事だと思ったなだ。
勝ちとか負けはどうでもよくなる。
個人の損得じゃなくて、もっと大事なものに集注していく。
何かの兆しを知る占いとか太平の祈りとか。
そんなふうにも思った。
不思議だな。
ただのジャンケンがそういうものに変貌していったなだ。


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