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2009
08.29

地上の文字

Category: 未分類
一一四 動きを体験しつつ見る

もしよ、自分のからだにたっぷり墨が染み込んであってよ、移動するごとに地面に滴り落ちていたとしたらよ、地面に墨字を書いていることになるべ。
ナスカの地上絵みたいに、高いところから見ると、その人が移動した後に、墨の線ができてるって感じでよ。
人は毎日、こんなふうに地上に文字を書いて生活しているでないべか。

ツバメよ 高い空から 教えてよ 地上の文字をー

当の本人はどんな文字を書いているかは分からねぇ。上空のツバメだけが知っている


ツバメに下りてきてもらって行動を共にしてみたらどうなるべ。
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2009
08.27

書拳

Category: 未分類
百十三 からだ全体で文字を書く

右手で宙に自分の名前を書きながらコンビニに入ったら、すれ違った小学生に「カンフーカンフー」って言われたな。
なるほどなぁ。
太極拳みたいな手さばきになってだ。

家に帰って、両手両足でやってみた。
文字を大きく書くと、こりゃあ、全身が動いて、ほんとにカンフーだな。

はじめは正面に書いてみた。
次は「美の壺」みたいに下から見たり裏から上から真横からと視点を回して書いてみた。
ええなあ。

胴体で筆順をなぞるようにしてみた。
文字の中から世界を見ていくような感じでよ。

こりゃあ、ええ。もっとええ。
ちょっとした小旅行、文字の旅だぁ。

最後は高速で「お茶」と書いて、鼻をチョンした。
「オァチャー!」

童にかえるなはぁ。
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2009
08.26

分身

Category: 未分類
百十二 自分のからだで道具を作る

前髪を指でつまんでちょん切った。
それを糸で縛ってそろえた。
毛筆になった。
それに墨をつけて書いてみた。

「かしこみ」
「いはひ」
「さわき」
 ・・・

ゾクゾクすんぞぉ。
しみじみすんぞぉ。

ぞぉ。
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2009
08.25

宙に浮かぶ文字

Category: 未分類
百十一 立体的に書いてみる

美の壺
これにならって自分の名前を書いてみよう。
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2009
08.23

運転動法・エピローグ

Category: 未分類
百十 動法の可能性

自動車屋の店長さんと、交通事故を減らすにはどうしたらいいかって話しになったんだ。
オレはよ、「フロントガラスに運転手の顔が大きく映し出されるプロジェクター搭載の車しか売れなくなるよう法律化すればいいなだ。外から顔が見えると悪いことできなくなるべ。みっともないことも出来なくなる。車に乗るってこと自体、緊張しなければなんねくなる。
オレだは車が凶器で怖いって知っていても、すぐ忘れるべ。
車内は個室で安泰してしまう。
車に顔が出たら個室じゃなくなるした。
みんな見てるから気持ちも引き締まるべな」って言った。
店長は笑った。
「それじゃ、車が売れねくなる」
その通りだ。車が売れるのは、今の時代、利便性があるからだけじゃねえんだ。
男が最もリラックスできる場所として、トイレと競い合っているぐらいだからな。


運転動法を少しづつでも続けていくとよ、すれ違う車の、運転している人の顔が気になるようになるんだ。どんな車種かとかじゃなく、どんな顔のどんな表情をした人とすれ違ったかが記憶に残るなだ。
もっと続けていくとよ、今度はどんな姿勢で運転してるかに注意が向く。外からは見えないけれど、見えるような気になってくるなだ。
足はだらりと放り投げられているとかイライラして貧乏ゆすりしているとか音楽にのって拍子をとっているとか。
終いには空気の車に乗った生身の人間が滑っているような気にさえなる。金属の塊が道を走っているのでなく、人間が高速で行ったり来たりすれ違っている。


プロジェクターなんて搭載しなくても、自らの身体を律しさえすれば、見えてくるんだは。

半端なえ。
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2009
08.21

最終章・空気の車

Category: 未分類
百九 預けない

日常で出来る動法シリーズ

自動車運転 その3 足のおさめ方

まず、放り出している両足を宙に浮かせる。
次に、右足の土踏まずがアクセルに触れるか触れないかという微妙な状態を維持する。
左足はクラッチにて、右足と同様にする。オートマの場合は宙へ浮かす。
太ももを前に押し出すことでアクセルを踏む。
足の裏、土踏まずには一切力が入らないようにする。
左足も右足に倣う。
ブレーキも同じ。

その足で、運転してみる。

この足の扱いに、更に、ハンドルにしがみつかない手、もたれかからない背、を加える。
すると、胴回りに力が集まってくるのが分かる。
腰や腹で運転ている感じになる。

この状態が一定時間保持されると、注意が車そのものから車内の空気、空間に移る。
車体が消え、車の形をした空気とともに移動している気分になる。
ハンドルは、その空気の向きを変え、アクセルは空気の速度を早める。そして自分は空気のシートに座っている。
ちょっとした素敵な心地になる。


注意
この動法は短時間にして睡魔に襲われることがあります。ご注意ください。

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2009
08.20

危険なものは危険なままに

Category: 未分類
百八 寄りかからない

日常で出来る動法シリーズ

自動車運転 その2 座席のとり方

まず、ハンドルを握る。

次に、背面シートを水平近くまで倒す。

後ろに寄りかかれなくなる。
これで準備OK。
シートベルトをして、そのまま運転する。

とても不安定である。そして不安になる。

ハンドルにはしがみつかないこと(その1参照)。

自動車運転の持っている危険性を体で実感できる利点がある。


注意
背もたれが習慣化している人の場合、咄嗟に対処できないときがあります。
また、警察がこの動法の価値を理解してくれるかどうかは保証できません。

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2009
08.18

運転動法

Category: 未分類
百七 居着きをなくす

日常で出来る動法シリーズ

自動車運転 その1 ハンドルのさばき方

まず、ハンドルを握る。
次に、そのまま握力を弱く弱くしていき、ハンドルの微細な質感が分かる掌にする。
そして、掌がハンドルに居着いていないことを確認する。角度をちょっと変えるとすべるようなら、OK。
その後、握力は一切変えない。

その手で、運転してみる。

ハンドルを回すときは、腕全体の角度を変えることで行なう。
持ち直したときも、同じ感じを保つ。
指に引っかかる感じがしたしたり、逆にすべってしまうときは、腕の扱いが上手くいっていない。
左右の腕の、開きや閉め、内転外転、伸び曲げ前後左右上下など取り混ぜ工夫して、腕の操作だけでハンドルと掌のフィット感を保ち続けること。

これは二輪でも自転車でも当てはまります。


注意
この動法は大変危険です。くれぐれも真似しないようにしてください。

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2009
08.15

今日は一年前のいつ?

Category: 未分類
百六 外に基準があるときは、遊びに着目する  

何かの記念日だったり誕生日だったりするときにいつも思うなだ。
今日は本当にその日なんだべか。

新暦でいえば、今日は8月15日で終戦記念日だ。
けれどもよ、旧暦だと、6月25日だ。
去年の8月15日は旧暦で7月15日だ。
旧暦ならば、まだ一年経ってないした。
更にいえばよ、終戦の昭和20年8月15日はよ、旧暦で7月8日だ。
もし未だに旧暦だったら、今日は終戦記念日でなかった。お盆でもなかった。


新暦は太陽を基準にしった。
旧暦は太陰太陽暦で、月と太陽の関係性で成り立たせった。
どっちが高度かといえば、やっぱり旧暦だべや。

けんど、どっちが正しいかって聞かれたら、分からねな。
どっちも基準は自分にはなくて外にあるからな。

基準が外にあるってことはよ、そんなに実感があるわけではなえってことだべした。
実感が薄いんならばよ、暦にはよ、遊び感覚があったほうがええなぁ。

日本のカレンダーにはよ、24節気だの干支だのいろんなのがごちゃごちゃ書いてあって、面白いほうだとは思うけんど、もっともっと複雑でいい。
例えば昼と夜を別々の暦にするとかよ。
昼に生まれた人は、太陽との関係が濃いから太陽暦で、夜に生まれた人はお月様の太陰暦で、朝夕生まれの人は太陰太陽暦で誕生日を決める、とか。
とにかく暦に対するいろんな視点が書いてあって、好きなのを選べるようなカレンダーがええ。


月日は自分の身体にある。
この追求はちゃんとやっていかねと駄目だべな。
それでも基準が外にあるときは、遊び幅を大きく大きく考えていくべは。


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2009
08.13

「間」 未知なる世界

Category: 未分類
百五 本腰を入れる

人がよ、何か、あるものと出くわしたときによ、少なからず「衝撃」ってものをおぼえるべ。
それがよ、予期せぬものだったり想像以上のものだったり、更にはよ、普段の自分なら適当に誤魔化したり逃げたりしているのに、それをまざまざと見せつけるような、自分に直面させる出来事だったりしたらばよ、それは一つの「事件」だべ。

「事件」というのはよ、「初めて」っていう感覚が必ず存在するべ。
だからよ、対処しようのない出来事ってことだ。
そのうえ大切に隠している自分の奥底に触れてくる。
人を放心させるにはそれだけで十分だした。

そのとき人は何してるんだべか。

止まっているべぇ。


そしてしばらくして、再び動き始める。

止まってから、普段の日常的感覚が動き始めるまでを、「間」というんだべ。

「間」を埋めるためによ、人は普通、既知の、自分に都合のいい解釈をもちいるなよ。
理屈をこねて「事件」を安易に解決してしまうなよ。
「事件」を体験としてでなく「知識」として置き換えてしまうなだ。
その結果どうなるごと。
今までと変わらない世界が今まで通りに連続するってことになるべな。

ところがよ、この「間」が出現したときによ、自らのからだをもって未知の世界に挑戦しようとしたらばよ、頭が動く前にからだが動こうとしているってのを実感できるなだ。
からだが先行すれば、文字通り「体験」できる。
「体験」すれば、新しい自分が生まれるべ。


「本腰を入れる」っていうのはよ、未知の世界へ一歩踏み出すときの、からだが何ものかに挑戦しているときの真剣な感覚でよ、チャンスは止まって動き始めるまでの「間」にしかないってところがミソなんだべぇ。
この「間」から幸運の切符を獲得するにはよ、体力があるってことが必至でよ、それはまさに稽古でやってる「からだづくり」ってことだべな。

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