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2009
03.26

水の骨

Category: 未分類
四三 滑る感じと関節の関係

俺等現代人は百年と少し前が江戸時代だったなんてもはや信じられないし、その時代の人たちが何を考え何を感じていたのかなんてとんと分かんなくなってしまった。
だけんど、日本文化の大本ともいえる源氏物語の作者・紫式部でさえ、昔の人が大切にしていた情感を理解できなくなってしまった、と嘆いていたんだと。
中国にもこんな話がある。

ずっと昔、学者の王安石は質問を受けた。
「波」という字はどうやって生まれたんだべ。
王安石は答えだ。
「波は水の皮、すわなち水の表面を指すんだごで」
また質問を受けた。
それでは「滑」はどうだべ。
王安石は答えた。
「滑、すなわち水の骨ということだごで」
質問者は笑った。
「水の骨って何や」
王安石は黙ったままだった。

これは、昔のことは誰も分からない、もはや知る由もない、という例え話なんだど。
だげんど、何で「滑る」は水の骨って書くんだべ。
興味あるね。

「骨」という字の上の部分は関節をあらわしった。下の月は肉。つまり「骨」という漢字は肉付きの骨のことで、関節の部分だけ骨が露出している象形文字ってことだ。
だから「骨」は、関節がメインだってことだね。


昔は滑車が重要な役割りを果たしったった。乾いて動きにくい木製の滑車や歯車に水をかけると、つるつるっと回るようになる。水は動きを滑らかにするのに必要な液体だった。
人の骨だってそうだ。骨と骨の間には体液が流れている。それがなければ関節はゴキゴキだ。

人間の力以上を求めて、人は滑車を発見した。それは骨の感覚を当時の人たちが持っていたからなんだべね。

ちょっと確かめてみてけろ。
右手の親指と人差し指で、左手首を軽く挟んで、優しく揺する。左手は力抜いてブランとする。それをクニョクニョって振ってみるんだ。
関節って全然硬くないべ。すんごく柔らかいべ。
そう感じだら、次。
目をつぶって、揺すりながら、水の骨ってどんなんだべって質問してみる。
質問する相手は、昔の誰か。誰でもよろし。
誰かの声が聞こえるかもしれない。聞こえないかもしれない。こっちの方が普通。
まあ、どっちでもいいけれど、しばらくすると、なんか妙な、なんか変な、集注感が生まれている。

この感じが、滑る、って感じなんだど思うんだげんど、どうだべ。




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2009
03.24

見て学ぶ 使って学ぶ

Category: 未分類
四二 涼しくなるからだの動かし方 

団扇は扇いでなんぼ。風がおきてはじめて涼しい。
ところがよ、京都の博物館には、見ているだけで涼しくなる団扇が飾られてあるんだと。国宝級ということだから眉唾じゃねぇよ。
見てみっちゃい。
ただ、どこの博物館だか忘れてしまった。

ところで、この前、細い一本の竹で作った団扇を持ってる人がいて、使わせてもらったんだ。
これが、いいんだなぁ。
持った感じも扇いだ感じもいい。風も微細で、からだに浸み込んでいくっていうか、贅沢な涼しさなだ。
気が付いたら、俺は団扇の柄をスルリと抜けそうな軽い持ち方しったった。ちょっと思いついて、その人に団扇をスッと抜いてもらった。手の動きはそのままにしてよ。
そしたらよ、団扇が無いのに涼しいんだよ。余韻なんだべか。さやさやっとした風がからだの中をすり抜けでいる。

エア・ギターならなぬエア・団扇だなっし。

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2009
03.22

骨笛

Category: 未分類
四一 骨と記憶

福島に阿武隈洞っていう鍾乳洞の名所があるべ。中は冷んやりとして、ひっそりとして沈かなんだ。ずっと腐らないんだと。水滴の形だけが積もって変形してくんだ。
骨の内部も鍾乳洞に似ったした。空洞で、どこかひんやりとしてどこかひっそりとして、しづか。。
からだの中で、何かを保存するなら、骨の中が一番だべね

篠笛奏者の森美和子さんが言ってだった。「笛の音は原初の風を響かせてる。骨の髄まで響くから」
篠笛も尺八も節があって中が空洞の植物で作られった。骨と響きあうのは、わかるなぁ。
角笛というもあるし骨笛もある。骨笛は通常鳥の骨で作るそうだげんど、笛の一番はじめは人骨だったんでないんだべか。人が死んで土葬していた時代も、唯一骨だけは残る。亡くなってしまった大切な人の音色を、その真っ白な形見によって甦らせたいと笛を作ったって。

骨は代々の音を大切に仕舞っている保管庫だべよ。

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2009
03.21

骨と岩窟

Category: 未分類
四〇 骨に刻まれる

松島の雄島や山寺の立石寺には、岩窟、人が坐れるほどの窪みが何ヶ所もあるなよ。昔の行者様が瞑想修行をするためにつくったんだべね。とても神秘的で魅力的な空間だ。
俺は戯れで、雄島のそこさ坐ったこどがある。そして瞑想もどきをしてみたんだ。一昔も前のことだ。
今は、悪ごどしたなあって後悔しった。人が骨身削って修行した場所さ、軽い気持ちで入ったからよ。ほんとに無礼なことしてしまったは。
入った瞬間から底なし沼にいるような気分になってよ、背中がサワサワして、だげんどせっかくだがら座禅組んでみっかと坐り直したごで。そしたらよ、ものの一分ぐらいだべね。ガーッと何かが押し寄せてくる感じがした。何かに吸い込まれるような、胸を鷲づかみにされるような、わけの分からない感じ。俺は息ができなくなって、苦しくなってうずくまって這いつくばった。岩窟を出てもしばらく震えが止まらなかった。周りを見渡しても、なんだか別世界にいるような浮ついた感覚が続いてよ。落ち着いてから、堪忍してけろって、と何度も頭下げて、柏手まで打って、冷や汗かいて帰ったよ。
絶対真似ごどはしねほうがええ。

骨には岩窟に似たいくつもの窪みがあるべ。骨を大きくしたら人が坐れそうな、瞑想できそうな場所がある。行者様は岩窟を、自分の骨の窪みに共鳴するように掘ったんでないんだべかね。修行したことがそのまま骨に刻みこまれるようによ。
俺の坐った岩窟は、修行の労苦を吸い込んでいて、その集注感をいまだに保っていだった。だから侵入してきた者に行者様の労苦とおんなじものを強要してきたんだ。生半可じゃないぞ。なんの準備もしない者が捕まったら、狂い死ぬぞは。


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2009
03.20

骨って何だべ

Category: 未分類
三九 骨が意味するもの 

骨に沁む 骨を砕く 骨を休む 骨を折る

骨に関した言葉の多くは、形あるものの芯、深部、気概、労苦などの意味として使われてる。

骨(ほね)の語源は、秀根(ほね:秀でているものの根っこ)や大根(おほね:ものの大本)などの説があってよ、なるほどと思う。人間に根っこがあるとしたら、骨、っていうのは、いいべ。

中国から渡来した漢字、骨(コツ)によって、技芸の奥義、それを会得する才能または急所、呼吸、風流を嗜むセンス、作法などの意味が加わって、骨(ほね)の世界はさらに広がったな。

ちなみに「体」という漢字の元は、「骨豊」、骨を豊かにすると書いていた。「骨本」骨の本(もと)とも。

こんなふうに歴史が凝縮された骨が、今、自分の身体の中にあるって、凄いべ。
その骨で、握ってみる、歩いてみる、動いてみる。


骨で動くって、どんなだ?


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2009
03.18

骨と履物

Category: 未分類
三八 足袋、下駄で歩く。 

足袋を履いてみる。そして立ってみる。歩いてみる。
今度は足袋を脱いで靴下を履く。立ってみる。歩いてみる。
感じが違うべ。全然違う。
今度は裸足になって立ってみる。
これも違う。
下駄を履く。皮靴を履く。ズックを履く。サンダルを履く。
またもや違う。
どれが骨っぽいか、と聞かれたら?

ほとんどの人は下駄と答える。硬いから。カンカン鳴るから。
真っ平らで直線。頑強。隙間があく。けれども心地いい。
こりゃあ、骨の性格に似ったした。
型枠しっかりしている足袋も靴下と比べれりゃかなりの骨。強情張りでなびかない。けれども気持ちがしゃきっとする。

筋肉は一緒につるんで動くのに、骨は孤高。互いに離れて触れ合わない。


さあ、自立を望んでいるならば、靴下を脱いで旅に行こう(足袋に移行)

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2009
03.17

浮く骨

Category: 未分類
三七 骨で歩く 

骨の話すっぺ。
動法に骨はかかせね。

からだには200個程の骨があるんだどぉ。レントゲンで全身写真撮ったら、筋肉が消えて、骨と骨の間にも隙間があいて、骨は宙を浮いているように写るべね。
足の裏の皮や脂肪も消えるわけだから、足は地面から浮いて見えるべね。

ということは、骨で歩く集注に入ったら、地面から浮いた感じで進むってことになるごで。
まさに滑る、だごでね。

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2009
03.15

1㎝の密度

Category: 未分類
三六 身の丈を変える

身の丈を知り、身の分をわきまえる。
大事なことだな。自分の身体を見つめる基本になるものな。だけんど、あんまり丈の長さに縛られると今度はこじんまりしてきそうだなし。

この間、シンクロナイズド・スイミングの鬼コーチとして名高い井村雅代さんがテレビに出ったった。
「アンタ! 何やってんのッ!脚、短いんだからッ!もう!ええ加減にしいー!!」
選手の身体的欠陥をズバズバ言うんだ。
キャスターが聞ぐ。
「持って生まれた体を指摘されてもどうしようもないって本人は思いませんかね」
井村さんがこたえる。
「本当にそう見えるんだからしょうがないじゃない。短足な人には短足って、正直に言っているだけ。
だけどね、短かい脚だって長くなるんですよ。長くて奇麗になる。オーラとかあるじゃないですか。そういうのが出てくると長くなる。
実際の脚は同じかもしれない。けれども私がそう見えるんだから、長くなってる。他の人も同じに見えるわけでしょ。
短足な人は短足な脚に妥協しているだけなんです。伸びるんですよ。やることやんないだけよ。それじゃ試合に勝てるわけない。だから怒るんですよ。
人間にできないことなんて何もない。妥協さえしなければ。
私にできる唯一のことは、私が私に妥協しないことだけ。
ただし、怒りっぱなしにはしないですよ。どうすればよくなるか具体的な方法を必ず提示することにしています。」

俺は思わず釘付けになったは。

井村さんには見えてるんだべね。選手が到達すべき身体が。
選手もそんな井村さんだから付いてくる。
だげんど、選手は大変だ。いつもの脚から脱却することは、そりゃあ半端じゃできねえな。
自分の脚には家族や風土、それまで関わってきた人や経験の集積があるわけだべ。それを変えろっていうのは、それまでの人生や考え方を捨てろってことだ。簡単にいくわけない。
それを知ってて、井村さんは妥協しねんだごでね。
現実の脚と到達すべき脚。そのズレを、その隙間を少しづつ埋めていく練習。脚が1㎝伸びる中に、それまでと同等の価値ある経験を凝縮させるってことだ。


どうだ、脚が長ぐなったと実感できると人生まで変わるんだど。


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2009
03.13

坐法、臥法本

Category: 未分類
三五 本で稽古

坐法、臥法の漫画本を紹介すっつぉ。
15年も前のまぼろし本だ。
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当時は、「坐り方、立ち方、寝方、起き方を身に付けるだけで体が整う」と、みんな必死に覚えたんだ。
著者は戸村拓男さん。
在庫発見につき、ここに紹介することにしたごて。
ほしい人は、仙台や山形、京都の稽古会に出ている人なら紺野か戸村さんに声かけてけろ。
各々一部500円。
その他の人は郵送(別途送料が必要になります)も検討しったから、一報おごやい。
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2009
03.11

身体尺度

Category: 未分類
三四 長さは体から生まれたと知る 

前回、身体尺度の話になったから、一寸(ちょっと)ここでまとめてみっぺ。寸より大きい編。

●束(つか)・・・小指から人差指までの甲の幅。つかむ、という言葉はここからきている、かも。
●尺(しゃく)・・親指と人差指を伸ばした長さ。しゃくとり虫の要領で木の円周も測れる。一束の二倍。現在の尺はそれより長くって30.3cm。肘から手首までの長さ、尺骨に相当。
●丈(たけ)・・・身長。一尺の十倍。
●尋(ひろ)・・・両手を広げた長さ。丈と同じ長さ。広いというのは、めい一杯両手を広げた、体の限界を越えた長さということになる、んだべな。
●歩(ぶ) ・・・三歩、歩いた距離。一丈と同じ長さ。畳を三歩で歩く作法は、ここが出発点。一歩(ぶ)の60倍が一町。36町が一里。

生活用品は身体尺にそって作られてる。建物も同じだ。
住み心地がいいと感じるのは、いかに人の体を基準にしているかどうかに懸かっているべ。
着物だって同じだ。
んだから民族衣装なんだし、んだから着てて気持ちがええ。
今はm法で、身体尺度を考えない長さが身の周りに増えちまったけんど、少なくとも俺らの祖先はからだで感じた長さしか身の周りに置かなかった。
まあ、大小様々な大きさの人がいたわけだから、誤差があるのは当然だったろうけど。
その辺のいい加減さも含めて、逆にいい具合に各々の感受性に任されたったんだべね。

山を見ても川を見ても何を見てもからだにはね返ってきったった時代。
まさに世の中は体の中、体の中は世の中。

この感覚、何とか身に付けっちゃいな。

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