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句会 連句会

二四三 連れる

俳句(句会・連句基礎)開催のお知らせ

●自作した一句をご持参ください(当季雑詠)

日時: 十二月十九(金)午後四時より九時 二コマ
内容: 「句会」 「連句基礎」
会場: 横浜稽古場  横浜市中区太田町5ー69 山田ビル3F

句会
「佳い」と感ずることが他者との同化の始まりならば、選句は初手を選ぶ稽古である。他者を鑑賞することが関係の変容をもたらすならば、選評は二手目三手目を運ばせる稽古である。
連句
句は作者の分身であり、句会は分身の集合体を鑑賞する会である。それに対して連句の会は、参加者そのものを錯綜させ場を身体化させる会となる。芭蕉のいう「俳諧(連句)は芸術の骨髄」を己自身で実感する会である。

※ お問い合わせは白鷹稽古場(紺野)090-4310-1361
もしくは横浜稽古場(小杉)〇四五‐六六三‐五〇〇三まで。
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体句会の実践

二四二 催す

『俳句基礎(句会)』開催のお知らせ

日時: 8月22(金)16時より21時まで、2コマ

会場: 横浜稽古場 
     横浜市中区太田町5ー69 山田ビル3F
     みなとみらい線 馬車道駅より徒歩3分 
     横浜市営地下鉄 関内駅より徒歩7分


創る→鑑賞する→鑑賞される→発見する→余韻→その次へ、というダイナミックで俎板の上にのったようなライブ感覚。
これが句会の醍醐味です。


○1コマ目「俳句基礎」 ○2コマ目「句会」


※ お問い合わせは白鷹稽古場(紺野)
もしくは横浜稽古場(小杉)まで。


二四一 小ささの共有
ワールドカップ、日本代表の試合を見て、選手同士、場の共有ができていると思った。アバウトな面積の共有と言った方が妥当か。課題は、線と点の共有。特にピン・スポットの点を選手が共有できれば、トップレベルに上がることができる。日本人は細かい作業が得意である。小ささには定評がある。日本人の職人芸は、一点集注。今後に期待しましょう。

現代少女と明治生まれの稽古場

二四〇 遠い関係を味わう

先輩から沢山の「稽古場にまつわる少女シリーズ画」をもらいました。

少女の正坐

明るく展開していきます。

夏少女

夏のひととき

会話

友と帰る場所

ふたりの背中

おもひで

思い出

俳句入

ともだち

わたくしはいつか夏野に帰るなり



なんか地味、でも、いい

二三九 目立たず凄い



明るく記する 暗く記する

二三八 言葉の前に出現しているもの

横浜稽古場にて、4月25(金)pm2時より、俳句の稽古を、3コマ、行ないます。

内容
● 芭蕉の俳句を身に付ける
● 言葉を創作する
● 目隠し句会をする


詳細
芭蕉の俳句を身に付ける
現代の俳句は大抵、文字で明記されています。暗記すれば、明記は不要になります。現代人は頭で暗記しようとしますが、昔は身体に染み込ませて覚えていました。覚えることは、目の覚めることでした。その実践です。

言葉を創作する
今までなかった、まったく新しい言葉を創っていきます。

目隠し句会をする
文字を読まない。声も聞かない。それでは、何をもって他者の俳句を認知するのか。全身の感覚を用いて俳句を鑑賞する初めての試みです。

※お問い合わせは白鷹稽古会、もしくは横浜稽古会まで。


白鳥米よ、さようなら

二三七 展く

薬なし機械なし栄養なしで稲作をしている。ちっちゃい三畝の田んぼである。冬に水を張って、雪で覆われないようにしているだけだが、その田んぼに、三年前から白鳥が来るようになった。今年は六羽やってきた。嬉しくなって写真に撮った。上手くは撮れなかったが、携帯の待ち受け画面にして持ち歩いている。見ると頬が緩む。

その田んぼに今朝行ったら、水がひいていた。土が干からびていた。堰の大元が塞がれていたのだ。京都に行って留守にしていた間だった。
私の田んぼが、下方の田んぼ所有者の間で問題になっていたことは以前から知っていた。二十年ほど前、水はけをよくするために堰の工事が行われた。それが手抜き工事だったため、近年になって、田んぼの水が引かないという苦情が町にも上がっていた。個々の田んぼごとに堰止めはしてあるので、冬は雪が積もり、わからないのであるが、春になってもジトジトして乾かない。そうするとトラクターで土を返せないのだ。
そんな中、冬の間から水を張っている田んぼがある。それを見るのは、いらいらするだろう。心情は察する。

この辺の農家は、直接、人に不満を言うことはない。だから相手のいないときに行動で示す。それが、大元の堰止めだった。新しく買ったばかりの、新種の防御板だった。

不耕起、無農薬で田んぼを始めてから15年ほどになる。有機農法が市民権を得るようになってから、声をかけられる頻度も増えるようになった。それでも、本音と建前は違う。

また、新しいやりかたを考えなければならなくなった。白鳥はもう来ることはない。さよならだけ…。
これが自然、と思える農法は、まだ、他にもあるだろう。

白鳥が確かに居たという余韻だけが、お米の一部となっていく。




三つ巴

二三六 あむ

文楽とは、太夫、三味線、人形遣い、の三業(さんぎょう)で成る演芸。


二三五 回る

節(ふし)という言葉。

人の関節を呼ぶこともあれば、木の枝を切り落とした跡をもいう。物事の区切りとなる大切なところは、ふしめ。

浄瑠璃・謡曲では、旋律部分を、詞(ことば)に対してフシという。 曲名も~節となる。小節があれば、歌に色が生まれる。

音読みのセツに転換すれば、季節、時節のこと。 お節(せち)は正月のご馳走だ。

節はぐるぐる回るべし。

干し柿稽古場

二三四 ほっとする

帰ってきたら、稽古場に干し柿がぶら下がっていた。
たぶん、父だ。
南向きで、陽の当たりがいいからだろう。

干し柿稽古場

「干す」の元は「火(ほ)」だったと聞く。
北国の寒い冬に、柿は裸にされ、冬のかすかな陽を浴び、日焼けして黒く(美味く)なる。